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「もしも、さあ」


雨の日の夕方、ベッドの中で夕美は呟いた。
大粒の雨が窓ガラスを叩いている。夕美は悲しげな眼をしていた。


「……うん」


煙草を咥えたまま俺は答える。


「もしも。あたしか郁が死ぬとするでしょ?」
「……はァ? んな話……」
「だから、もしも。そんなことになるとする」
「うん……」
「愛する人を遺して逝くか、愛する人に先立たれるか」
「……?」
「ねぇ、郁。どっちが哀しいと思う?」


窓の外が光った。
数瞬ばかり遅れて騒音。それと同時に夕美は我に返ったかのように立ち上がって散らばる衣服を集め始めた。




     *




「なー。もしもさあ」


あんなことを聞いて来てから、そうやな。一週間くらいしてから。また夕美が「もしも」の話を振ってきた。


「今度は何?」
「ん? ……ヤメる」
「何で?」
「その話はいい、って郁の顔に書いてるから」
「ああ、本当に? それは恥ずかしいから、タオル持って来て。拭くから」
「馬鹿、例え話じゃんか」


夕美はため息をついて、そして笑顔の混じった膨れっ面。
あの日の雨は完全に拭われていた。ソラには雲一つなくて、暑苦しいくらいで。
夕美の歩く速度が、心なしか速くなる。俺はそのペースに合わすことだけに必死になっていた。
夕美の歩いている脚「しか」見ていなかった。


「――――――――――!」


刹那、色んな音が俺の耳に飛び込んできた。
クラクション、ブレーキ音、怒号、悲鳴。
悲鳴―――?
俺はすぐに顔を上げた。今ここで、何が起こったかを理解するために。


「夕美!」


何かが焦げる匂いと、血の匂い。
横たわる軽トラックと血まみれの夕美。集まってくる人。
誰か救急車!   叫び声が聞こえる。
俺はただ立ち尽くしていた。状況が飲み込めない。いや、“飲み込みたくない”だったかもしれない。だって、俺は殆ど理解していた。夕美が道路に倒れている意味を。血にまみれている理由を。


「夕美……!」
「い……く」
「大丈夫か?」
「わかん、ない……。いたい……。全部、いたい……」


途切れ途切れに夕美は喋る。言葉のあちこちに苦痛の色を染み込ませて、夕美は少しずつ言葉を紡ぎだしていた。


「たすけて……郁」
「わかった、だから喋るな。救急車来るまで黙ってろ」
「いま……しゃべ、んないと……い、つ、しゃべ……んのっ……!」


夕美は、俺よりもずっと冷静だったのだろうか。
俺は、そんなに冷静ではなかったのだろうか。


「あたし、しんじゃう……」
「夕美は死なない。大丈夫、ぜったい……」
「絶対なんて……いわ、ないで?郁を信じて、しんだら……あたし、後、悔しちゃう……」
「夕美……」
「そう、だ。こないだの……答え。おし、えて?」
「こないだの?」
「あい……する人、に先、だたれるか……、あ……いする人を……遺して逝くか。」


どっちが哀しいかなあ?
夕美の言葉は、もう声になんてなってはいなかった。


「夕美……」


もしもじゃなくなったね。
喘ぎながら、夕美の口がそう動いた。
俺は考えたこともなかった。俺か夕美のどっちかが死ぬだとか。いずれ来てしまうかもしれない別れの日さえも考えたことがなかったというのに。俺の傍には永遠に夕美が居て、俺は永遠に夕美の傍に居れる。そう信じて疑ったことはなかった。何故か。それが、当り前だったから。喧嘩をしても何をしても、今までそれが揺らぐことはなかったから。だから俺は、


「わからんよ……そんなん」


全身から力が抜けていく。視界が、涙で霞む。遠くから聞こえてくる救急車のサイレン。俺は何もいらん。不幸になっても死んでしまってもいい。だから、夕美だけは―――。




     *




雨の香りがして、俺はゆっくりと目を開いた。真っ白いシーツを濡らしてしまうくらい、大量の汗をかいていた。


「郁、やっと起きたね」


俺の隣には、夕美。窓の外では、大雨。


「いやな夢でも見たの? 魘されてた。起こしてあげようかと思ったけど……やめちゃった。」
「何で……」 「何で起こしてくれなかったって? 自分のしたいことだけしてあたしを置いて寝ちゃったんだもの。自業自得よ」


夕美は笑いながら絨毯に両足を降ろして、散らばった服を身にまとい始めた。


「あんさ……夕美」
「ん? なあに?」
「もしも、さ。もしもの話だけど。死ぬ時が来て、さ。愛する人を遺して逝くか、愛する人に先立たれるか。どっちの方が悲しいんかなあ」
「なに、その質問」


夕美は訝しげな顔をして、それでも真剣に考えている風な素振りをした。


「あたしは立場の問題じゃないと思う……かな」
「立場?」
「うん。死ぬとか遺されるじゃないよ。哀しくなるのは相手を思うから。……そうでしょ?」
「夕美……」
「でもまあ、あたしは死ぬ側になっても死なれる側になっても。あたしはきっと、相手の方が悲しいんだ、辛いんだって。あたしは相手を悲しませてるんだなって。きっとそう思うだろうけどね」


服を着替え終えた夕美は、振り向いて笑う。
そんな夕美が愛しくて、抱きしめた。


「夢でよかった……」


俺は小さく、夕美に聞こえないように呟いた。
もしもは、もしものままで。現実には起こりませんように。
でも、もしもそうなったとすれば、俺は。
たくさん考えたあと、きっと夕美と同じ答えを出すだろう。





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written by蒼(http://kitten.chu.jp